3‱ の人生(サンパーミリアド)

スキゾイドとアロマンティックアセクシャルとニヒリズムを併発した一般男性の手記

ニヒリズムについて

こんばんは。

今回は当ブログのコンセプトのひとつとしても用いている「ニヒリズム」について少し語ります。

テレビでも「ニヒルな役者」とかって使われることがあると思いますが、「ニヒリスト」と聞いてどんな人かパッとわかる人は少ないんじゃないでしょうか。

ニヒリズムは日本語に訳すと「虚無主義」と言われます。なのでニヒリストは「虚無主義な人」のこと。じゃあ虚無主義が何かというと、簡単にいうと

「自分はどうせ死ぬし世界もいつかなくなる。だったら今生きていることも社会が発展することも何も意味が無い。」(個人的な解釈を含みます。)

といった考え方です。

もちろん自分もニヒリズムを持っています。「〜ズム」って言うと、なんだかその考えに共感してそういう生き方をしてるように聞こえるかも知れませんが、どちらかというと生まれつき(後天的な場合もあると思いますが)の性格みたいなもの、もっと言えば自分は"病気"と言ってもいいと思います。

これは自分がスキゾイド(別記事参照)だからかも知れませんが、生まれ持った性質なのでかなりどうしようもないものだと思います。

他のニヒリストの人と話したことがないので分かりませんが、ニヒリストの人は結構苦しんでるんじゃないかなと思います。

多くの人は将来に希望を思い描いて、夢を見ながら生きています。それが今を頑張って生きる理由であって過去の自分を認める手段にもなるから。ですが、ニヒリストはそれができません。自分の場合、将来自分がどうなろうが興味がありません。明日突然日本という国がなんらかの原因で崩壊したとしてもどうでもいいと思っています。これは誇張でも気取っている訳でもありません。心の底から興味が無いんです。なぜなら、「どうせいつかなくなるものだから。」永遠なんてありません。生命体である限り人は死にます。星もまた命を育んでいます。有機物には終わりがあります。いつか終わるそのタイミングが人間の時間軸で見た時に限りなく遠く、無限に近似できそうに見えるだけで、星という生命の時間軸で見ればその終わりは案外すぐ近くにあるのかも知れませんよね。

まぁそんな神秘的なことを考えている訳ではないですけど、考え方自体はこういうことです。

話が逸れましたが、こういった考えを持っていることで日常生活って結構つまらなくなるんですよね。普通の人が一喜一憂しているものに全く心が動かない、そういうことが多々あります。

人が楽しんでいるのを見て「何が楽しいの?」って冷めたことを言う人がいますよね。口に出す出さないの話はまた別の性質なので取り上げないとして、こういう人ってニヒリストの傾向があると思います(もちろん普通の人が単純に僻んでいるだけの場合もあります)。ニヒリストの場合、これがかなり多くのことに当てはまると思うんですよね。想像して見てください。今自分が好きだと思っているいくつかのこと、これらに対して"自分の心が動かないこと"を。みんなが「面白い」と言っているものを見て(何が面白いんだこれ)と思ってしまう気持ちを。そしてそういう反応に対して世間がどういう目を向けるかを。

ニヒリストは結構生きづらい。と思う。

 

ちなみに自分がニヒリストでありながらさっきから他人事のように話しているのには理由があります。克服した、という訳ではなく、むしろ年々度合いが増している気がします。それでも自分は辛くない。なぜか。それはスキゾイドだから。スキゾイドは人との接触を好みません。普通に会話をしますが、友達と話すことすら出来れば避けたいと思っている人種。ニヒリズムとはとても相性がいい。この2つが噛み合っているおかげでマイナスな性質をいくつか併せ持って生まれた自分も普通の人間のような顔をして平気に生きられているのかも知れない。そう思うと自分は結構ラッキーな人間かも知れません。

 

ま、人生つまんないのは変わりないけど。

終わり。