3‱ の人生(サンパーミリアド)

スキゾイドとアロマンティックアセクシャルとニヒリズムを併発した一般男性の手記

"努力できること"は一つの才能

Twitterで「努力できる脳・できない脳があるって話。」という漫画の一コマを読んだのでせっかくなのでそこから広げて話します。

引用ツイートでも言ったんですが、自分も前々から「努力できることはそれ自体が才能だな」と思っていたためこの話に凄く共感できました。

一番分かりやすいのがやはり勉強であったり部活だと思います。みんなが同じような生活をして同じ目標に対して取り組んでいる時間なので。でもその中でやっぱり成績がいい人がいれば悪い人もいるし、部活に真面目に取り組む人もいればサボる人もいる。これって、シンプルな地頭の良さ、例えば記憶力が抜群にいいとかそういうのはもちろん関与してくるんですが、一般的に集まった数十人数百人って実は頭の能力ってそんな変わらないんじゃないかって思ってます。

ここで成績の良し悪しに関わってくるのが、どれだけモチベーションを保てるか、言い換えれば、勉強に対してどれだけ努力できるか、だと思うんですよね。

僕は勉強は真面目にしてたんですが、大学を受験するにあたって「どこでも変わらない」と思ってしまってモチベーションが保てなかった経験があります。

当該ツイートにもありましたが、"努力できる脳"の人は「努力を重ねた先にある報酬を喜ぶことができる人」、"努力できない脳"の人は「重ねる努力と得られる報酬を天秤に掛けて判断できる人」という脳科学的なデータが示されていました(自分なりの解釈になってるので詳しくは元ツイートを参照してください)。

これってまさに「努力できることが才能である」ことの証明だなと思っていて、努力して勉強した先にある"志望校合格"という報酬に魅力を感じられなかったら勉強なんてできる訳ないんですよね。もちろんその過程にある模試の判定が良くなったとか点数が上がったとかっていうのも報酬の一つ一つなので同様です。

もちろん、勉強以外でも同様ですし、「努力できない人は勉強ができない」と言っている訳ではありません。

ただ、自分の個人的な話をすると、"努力できる脳"を持っていた方が人生は楽しいだろうなと思います。

各個人の生き方を否定したい訳ではないですが、やっぱり目標に向かって努力してそれを乗り越えていく瞬間って生きていく上で必要な過程だと思います。

自分はそれができないので、何かに挑戦しては中途半端に終わることが多くつまらないと感じます。

何か目標があってこれから努力したいけど、自分が"努力できない脳"だと分かっているならば、それを踏まえた上で作戦を立てないといけないと思います。

ちょっと話がくちゃくちゃになってしまった感がありますが…私個人は結構苦しいです。

好きで頑張りたいのに価値が見いだせないという状況なので。

もっと若いうちから気付けていたら良かったなと思うので、若者の目に止まることを祈ります。そして、ぜひ自分と向き合ってほしい。