世の中には悪人しかいない
主題の通りです。
世の中には悪人しかいません。
言ってしまえばただの「性善説」「性悪説」の議論ですが、考えるのもバカバカしいくらい、どう考えても人の根っこにあるのは"悪"です。
僕はいつも思うんです。「もし、世界に"法律"がなかったらどうなるんだろう」って。
多分ね、そんな世界にはなり得ないんですよね。というか僕らには想像することができない。そうなっている。
人の根源は"悪"ですが、性質はそれぞれです。強い"悪"もあれば弱い"悪"もある。
強い殺人衝動を持つ人、なんとかお金を騙し取ってやろうとする人、人に嘘をつく人、約束を破る人、ゴミを道に捨てる人。
弱い"悪"を持っている人が自分よりも強い"悪"を見た時にどうなるか。
おそらく、「許せない」と思うのだろう。
人への怒りの感情は基本的に「理解できない」が根底にある。人は自分の理解できないものに対して不安を覚え、自分の方が正しいのだと正当化する。より感情の大きく動く人はそこで怒りという感情を持って相手が間違っているのだと自分に言い聞かせる。
僕から言わせれば、その怒りさえも"悪"だ。
こんな話をすると、僕自身がよほどの悪人なのだろうと想像されるかも知れないが、事実は全くの逆です。
僕こそが根っからの"善人"だからこそ、世の中には"悪人"しかいないのだと、そう思う。
傍から僕を見た時、悪人だと断定する人は誰もいないと思う。なぜならそのように生きているから。ポイ捨てなんか以ての外、赤信号も渡らないし人を騙すこともしない。模範的な人だとさえ思う。
でも、僕はこれらを子供の頃から意識して行っていた。だから今習慣のようにできる。じゃあ最初はどうだったのか?思い出すことはできないが、僕は知っている。
「ゴミを道路に捨ててはいけないこと」「赤信号では渡ってはいけないこと」「人に嘘をついてはいけないこと」「人を殺めてはいけないこと」
知っているから、できる。
これらは学習によって身についた能力だ。じゃあ、こういった道徳を一切教えない世界だったら?難しい、おそらく堂々巡りだ。
人を糾弾することに生きがいを見出してまう人もいるから。
案外、法や倫理はそういうところから生まれるのかも知れない。
人の心は醜いよ。本当にそう思う。
誰もが"悪"を抱えてる。その"悪"を外側に見せないのは勇気がないからだ、意気地がないからだ。それ以前に法と倫理で雁字搦めになっているから、"悪"を露出する人はおかしいんだけどね。
もし、1ヶ月後に世界が確実に滅ぶとしたら。
人類はどうなるだろうね?
犯罪を冒したところで、1ヶ月後には相手も自分も世界も全て跡形もなく消え去っているのだとしたら、あなたはどうしますか?
宣伝じゃないですが、伊坂幸太郎さんの作品で「終末のフール」という小説がありますが、ちょうど今話したことがテーマ…に近いですね。あちらは7年後とかだったかな。興味のある方は読んでみては如何でしょう。伊坂さんらしいポップさの中に色々と考えさせられるものがあって面白いですよ。
ちなみに僕は、世界が終わるとしても犯罪は冒しませんし、糾弾もしませんよ。自己防衛はしますが。
これも、既に今まで生きた蓄積がある人だと同じようになるのかな?分かりませんが。
僕は今までの自分に恥じるような死に方はしたくないので、今まで通り生きると思います。そして穏やかに終わりの時を迎えたい。犯罪行為を働く人を横目に「自分はあいつらとは違うんだ」と言い聞かせながら残りの人生を過ごすんです。
見方によってはこれも"悪"かも知れませんね。
皆さんはどう思いますか?