3‱ の人生(サンパーミリアド)

スキゾイドとアロマンティックアセクシャルとニヒリズムを併発した一般男性の手記

"誰も"が"誰か"を差別しているという話

最近、LGBT平等法を日本でも制定しようという動きがニュースになっていた。

でも私はこの法律の必要性に少し懐疑的だ。

もちろん、まだ日本ではLGBT等に対する理解が浅く、精神的に傷を負わされる人が多いことは分かる。そしてそれらの行為が許されないことで失くすべきものだということも分かる。

しかしそれを法律によって取り締まるのはどうだろう。

確かに法制化されることによって、無分別な扱いを受ける人は減るかも知れない。しかし私にはそれが表面的なものとしか思えない。

「人を差別してはいけません。」と「人を差別したら罰を与えます。」この2つの間には大きな壁があると思う。

もちろん、理想は前者が当たり前の世界。その前段階としての後者のステップが存在するのかも知れないけど、そうなる可能性は低く感じる。

 

何故可能性が低いと言うか。それは「誰もが誰かを差別している」から。

差別は"しなくてはいけない"んだ。

なぜなら生まれた時から人間はみんな違うのだから。

生まれた国も、性別も、身体的な特徴も、心の形も違う。人より優れた特徴を持って生まれる人もいれば、ほとんどの人が持っているはずのものを持たずに生まれてくる人もいる。

生まれた時から差別されているんだ、全ての人間は。

 

差別という言葉のニュアンスは"上から下"に向かう印象が強いと思うが、差別に決まった方向はない。

例えば、「陽キャラ」と「陰キャラ」という言葉。定義が曖昧な言葉ではあるが、世間の印象で言えば「陽キャラ」よりも「陰キャラ」の方が差別的な意味合いが強いと感じると思う。陰キャラの方が暗い、とかもっと過激なイメージだったりすると思う。では陽キャラは?これは完全に私見だが、やはり世間のヒエラルキーとしては陽キャラの方が陰キャラの上に立っている(実際にはそんなヒエラルキーが存在しないことは置いておいて)。そして、陽キャラが陰キャラを見下す構図が出来ている。その中で陰キャラは陽キャラを僻んでいる、という"よくある構図"。結局私が言いたいのは、この僻みも差別であって、これは"下から上"への差別ということ。自分と違うものに対して抱く"違和感"と"拒絶感"。これこそが差別の本質だと思う。そしてこれは人間が持っていなくてはいけない感情だと思う。

 

本題に戻る。今までの話をまとめると、差別を失くす為に法律を作るのは正しいとは思えない。なぜなら人は生まれながらに違う性質を持ってお互いを差別しているから。そして人は差別しないと生きていけない。ということになる。こう聞くと、さも私が悪人のように見えるがそうではない。

確かに、差別は存在していて人間になくてはいけないもの。では何がいけないのか。答えは簡単で「差別によって人を貶めること」だ。あいつは人よりも背が低い、高い、運動ができない、できる、男のくせに、女のくせに、あいつの家は貧乏だ、金持ちだ。どれも合っていい感情だ、間違っていない。人間は自分が1番大事だ。自分が幸せでないと生きていけない。その1番簡単な方法は「自分よりも劣っている人間を見つけること」だ。これは多くの人が無意識にやっていることだし誰にも責めることはできない。心の内に秘めている間は。この感情が間違いになるのは、それが言葉に、表情に、行動に現れた時だ。その瞬間、貴方の考えは人を傷つけるナイフになる。無意識のうちに人を傷つけてしまう人もいるし、明確に悪意を持って傷つける人もいる。多くの人は無意識だと思う。程度の問題はあるが。そして今この瞬間に「そんなやつはおかしい」などと少しでも思った人がいたらよく考えて欲しい。それこそが私の言いたい差別であって誰もが持ちうる感情だからだ。

だから、「こんなやつおかしい。俺はこいつらとは違ってまともだ。」そう考えるだけで終わる、それでいい。その考えによって他人を糾弾したとき、あなたは差別による"暴力"を行使したことになる、そう思って欲しい。

あなたは「自分が正しい」と思っている。それでいい。だが、同じように他人も「自分が正しい」と思っている。自分の正義と他人の正義は必ずしも一致しない。誰もが等しく幸せな世界は存在しない。人は"人よりも幸せ"でないと幸せになれないから。それは差別のない世界だ。美しいかも知れない。だがそこに感情はあるだろうか。自分と他人は違う。等しくはなれない。大切なのは、差別を尊重すること。相手の違いを認め、受け入れた上で歩み寄ること。人間にはそういった行動もできるはずだ。

 

差別は失くすことはできない。

「誰もが誰かを差別している」から。

その先の行動はその人次第。

歩み寄ることで世界は変わる。

 

 

 

 

しかし、誰もが歩み寄ることはできない。

人間はそういう生き物だから。この話はまたいつか。