3‱ の人生(サンパーミリアド)

スキゾイドとアロマンティックアセクシャルとニヒリズムを併発した一般男性の手記

スキゾイドと私、その1

いかがお過ごしでしょうか。

今回は私が筆を執るきっかけにもなった「スキゾイドパーソナリティ障害(以下、スキゾイドと表記)」についてお話したいと思います。

このブログは完全に私見で書かれていますし、全てのスキゾイドがここに書かれたことに当てはまる訳ではないことを注意して頂きたいです。

このブログでは、「スキゾイドとは何か(私見)」、「私の場合について」、「世間の印象(予想)」と言ったことをつらつらと書いていきたいと思います。

今回は「その1」ということにして 基本的なスキゾイドの症状 と それに対する私の印象 について話します。

 

初めにスキゾイドの特徴についてお話しますが、専門的なことは割愛します。

自分はWikipediaやMSDマニュアル(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/プロフェッショナル/08-精神障害/パーソナリティ障害/シゾイドパーソナリティ障害-scpd)を見て知ったので詳しく知りたい方はご自身で検索してみて下さい。

 

スキゾイドの代表的な症例として、検索した時に真っ先に挙げられる3つの傾向があります。

それが、

・社会的関係への関心の薄さ

・感情の平板化

・孤独を選ぶ

という3つです。

これらについて私の考えと一般人が見た時に勘違いしそうな観点を話そうと思います。

 

社会的関係への関心の薄さ

ここでいう"社会的関係"が厳密に何を指すものかは分かりませんが、自分の例で考えると、「他人との友情・愛情」、「世間の流行」、「世界的な出来事・事件」、「有名人のスキャンダル」などかなと考えています。

自分の身の回りの人間関係だけでなく、テレビの中の人がどうとか、世界的に何かが流行しているとか、そういったことへの無関心もしくは関心の低さ、これがスキゾイドだと思います。

これを聞くと、「"流行り物に興味ない自分かっこいい"と思ってる」と思われそうだなって思うんですが、そうじゃないんです。

本当に心の底から興味がないんです。

例は挙げませんが、周りの人やネットを見て「自分には理解できないな」「それ何が楽しいの?」って趣味ありませんか?

私にとっては、例えば「恋愛」がそれに当たります。

「恋愛」は多くの人が楽しんでいる”趣味”の一つで、自分はたまたまそれが”趣味”にならなかった、というのが僕の見解です。

恋愛だけでなく、流行りのドラマ、人気YouTuber、芸能人のスキャンダル、こういったことに対して一切の興味が湧きません。(自分は政治や世界情勢といったことにも興味を持てないのですが、これは恐らく他の障害の併発が関係していると思うのでまたいずれお話したいと思います。)

そして当然、周りの人との関係性も希薄になります。それは、そもそもそういった深い関係になろうと思えないという性質もありますし、今挙げたような「一般的な人々が"趣味"として日々楽しんでいることに興味がなく、会話についていけないから」という原因もあると思っています。

こうしてスキゾイドは社会的関係から身を置くようになります。

 

感情の平板化

感情の平板化、つまり感情の変化が乏しいということですが、私はまさにこれが当てはまっていて一時期少し悩んでいましたし、普通の人には恐らく理解できないんじゃないかな、と思っています。

これは私の解釈ですが、人間には感情のバロメータがあって、その時々によって誰しも上下していると思います。通常の人が-100〜100までバロメーターがあるとして、スキゾイドでは、症状の度合いが高いほどこのバロメーターの幅が狭まっていくと思ってください。例えば自分のバロメータは、-20〜40くらいだと自己評価しています。

つまり、スキゾイドは一緒に遊びに行って同じように楽しんだとしても、一般人との感情の乖離が発生します。でも、勘違いしないで頂きたいのは、スキゾイドも本心から楽しいと思っているということです。一般人から見たら、やっと普段のテンションに追いついてきたと思われるくらいでも、スキゾイドにとってはそれがマックスのテンションで同じように楽しんでいることを分かって頂きたいです。

そして私自身は、実際遊ぶときは60か70くらいのテンションになるようには自分を偽っていると思います。これはスキゾイドなりの処世術でもあると思います。

全てのスキゾイドがそうなのか分かりませんが、私は、みんなと同じことをして同じように楽しめないことが悲しいと思うことがあります。

といっても思い悩むほどではなく大して気にしていないのもスキゾイドたる所以だと思います。

 

孤独を選ぶ

上に挙げた二つからも分かるように、スキゾイドは一般人と同じように生活することが難しいです。他のパーソナリティ障害についてきちんと学べていないため詳しくはまだお話できませんが、他の障害とはまた違った背景から孤独を選ばざるを得ない人種であると思います。そして、その「孤独を選ぶ」という選択肢を容易に受け止める、もしくは積極的に受け止めることができるのがスキゾイドだと考えます。

私自信がそうであるように、スキゾイドは孤独であることに苦痛を(ほとんど?)感じません。今年はコロナウイルスの影響でGWやお盆などの長期休暇に自宅待機を余儀なくされた人がほとんどだと思います。私ももちろんその一人です。

例年であれば(スキゾイドとしては意外に思われるかもしれませんが)結構アクティブに遊んでいます。

しかし今年は家に引きこもり誰とも会話せずゲームをしたり本を読んだりと一人で過ごしていましたが苦痛は一切ありませんでした。

ここで理解していただきたい点は、『スキゾイドは、孤独以外の選択肢がある中で「孤独を選んでいる」こと』です。私はスキゾイドの中でも社交性の高い方じゃないかと思っているのですが、アクティブな友人が多いためアウトドアで遊ぶことも多く、私自身それらは楽しいと思っています(例によって感情の差はありますが)。それでも、私はこのコロナ下の生活がとても充実していて、誰とも関わらなくていい時間がいくらあっても足りないとさえ思っています。

このように、スキゾイドは本質的に一人でいることが好きであり、同時に、他人と関わることが嫌いな訳ではないのです。

 

ざっくりお話もできたし長くなってきたのでこの辺で終わろうかと思います。改めて文章を書くことの難しさを痛感しています。読んでくださった方は本当にありがとうございます。途中までスマホから記入していたのですが、PC版では色々な機能が使えることに気づきました。次回から、読みやすくなるように色々な機能を使っていこうと思います。

では、さよなら。またお会いしましょう。